母さんが示した愛、返し終えることのない恩

どもどもたっちゃんです。

 

ビジネスパートナーと離れたたっちゃんは

一人会社を引き継ぐこととなりました。

 

しかし、残念なことに

私は経営なんて一切分かりません。

 

そんな自分が引き継いだところで

利益なんて出るわけもなく、

何をすることもできずに

最終的には会社を売却することになります。

 

では、なんでそんな利益にもならない会社を

引き継ぐことを決めたのでしょうか。

 

その理由は

『自分に対する母親の愛が関係していることに気付いたから』

でした。

 

今回はそんなお話し。

 

恩返しの形

 

お母さんたちの悩み

 

ビジネスパートナーが去る前のこと。

 

本サービスに繋がれば嬉しいなという思いの元、

お母さんのコミュニティを作っていた私は

自分もその中でイベントを開催していました。

 

メインでやっていたのはおもちゃカフェ会。

 

カバンいっぱいに詰めたおもちゃを机に並べて

子供たちに遊んでもらいながら

「このおもちゃはこういうきっかけになりますよ」

「こういう能力を伸ばしやすいですよ」

という感じで、

おもちゃと心理学の話と繋げて話すことで

参加者であるお母さんたちからは

「へぇー!面白いですね!」

「おもちゃってけっこう深いんですね!」

というお声をいただけました。

 

そして心理学を伝え終わった後は

お母さんたちの悩みをひたすら聞いていく時間に。

 

お母さんたちの悩みはそれぞれ違うものの、

子供たちにどういう教育をすればいいかわからない

母親というものがそもそもわからない

と言った声が多く、話を聞くたびに大変さを痛感しました。

 

実際私もお母さんたちに話を聞く前までは

「自分の子供のことはわかるものなんじゃないの?」

とか思っていました。

 

しかし、

赤ちゃんを産んだからといって、

『お母さん』という能力が

身につくわけじゃないんですよね。

 

赤ちゃんだけでなくお母さんだって初めてのことばかりで

毎日が挑戦しては修正しての繰り返しなんです。

 

『赤ちゃんと共にお母さんとしても成長していく』

 

それを理解できていない人が

「母親なんだから子供の面倒くらいちゃんと見ろよ」

みたいなことを言うのかな、なんて思ったりしてました。

 

また、家族からのサポートがないのはやはり大変なようで、

特に昔ながらの「家事育児は女がやる!」みたいな考えの旦那さんだと

ストレスの溜まり方が半端なく、

愚痴を吐き出すだけ吐き出して帰っていく…

そんな人たちもいました。

 

そんなやりとりを通していくうちに、ふと

『自分の母親はどうだったのか』

が気になり振り返ってみることにした。

 

幼少期の頃の話

 

私の家族は姉、自分、妹の三人兄妹と両親の五人家族。

 

裕福なわけではありませんでしたが

特別不自由があるわけでもない、

幸せな家庭環境でした。

 

が、

ある日突然、父がリストラにあいました。

 

普通リストラというのは

仕事のできない社員が対象になったりするわけですが

私の父親はどうやら仕事自体はできたそうで、

リストラになるような理由はありませんでした。

 

ではなぜリストラになったのか。

 

実は父は仕事ができなかったからではなく、

仕事ができ過ぎたことが理由で同僚に妬まれて

社内いじめの対象になってしまったんです。

 

普通であれば

「子供も小さいし、もう少し頑張ってくれない?」

という会話がされそうですが

うちの母は違いました。

 

「そんなに辛いなら辞めたら?」

 

そう言って母は家事育児はそのままに、

朝昼夜と3つの仕事をかけもつ生活をし始めました。

 

旦那が動けなくなったら「私が動くよ」と言える強さ、

子供たちの生活に合わせるために

あえて3つの仕事を掛け持ちするという考え、

父の回復を優先させ、家事も育児もそのまま継続するというバイタリティ。

 

当時は気づきませんでしたが

改めて思い出すと本当にすごい行動量だなと思いました。

 

今思い出しても異常だと思いますし、

自分には真似できるとは到底思えません。

 

ではなんで当時と母親はそれができたのか。

 

それは他でもない、

自分達三人の子供たちに

ちゃんとご飯を食べて成長してほしいと願う

母親としての愛の形だったのです。

 

贅沢をしない母

 

三人の子供たちを食べさせるために

必死になって家事育児をしながら

仕事を3つ掛け持ちしていた母の生活は

父の社会復帰と共に楽になっていきました。

 

貧乏期を脱した後も

自分が高校を卒業するくらいまでは

細々と仕事を続けていたのですが、

母の節約する日々は続いていたので

自分が欲しいものでもあるのかと思っていました。

 

しかし、いつまで経っても

一向にお金を使うそぶりを見せません。

 

不思議に思った自分は母親に聞いてみました。

 

た「母さん、仕事でお金貯めてなんかしたいとかあるの?」

母「ん?お金なんて貯まってないよ」

た「え、だって父さんも働き始めたし、

何か欲しいものを買うためとかに貯めてるんじゃないの?」

母「いや、特に欲しいものもないしねー」

 

特に欲しいものはないけど仕事はしてる、

だけどお金はないってのはどういうことだ?と思ったので

さらに質問してみました。

 

た「んじゃ今まで稼いできたお金ってどうしてるの?」

母「んー、あんま言いたくないんだけどな」

た「そんなことある?笑っ」

母「いや、言わない方がかっこいいかなって」

た「??結局何に使ってるの?」

母「世の中にはさ、恵まれない子供たちがいるじゃない?

その子たちのために稼いだお金は寄付してるんだよね」

た「え?寄付してるの?全部?」

母「そう、全部」

 

驚愕しました。

 

多少寄付してるだけでも驚きなのに

まさか全額寄付してるとは…

 

そこでさらに質問を続けました。

 

た「母さんは服が欲しいとか、旅行行きたいとかないの?」

母「んー、そうねぇ、そんなに欲しいものとかないのよね」

た「じゃあ寄付するために働いてるの?」

母「あんたたちにお金かけなくて良くなったしね、

自分が稼いだお金で世界の誰かが救われてるって思うと

なんかいいことしたって思えるでしょ?」

 

そこから先は言葉になりませんでした。

 

この人はとことん自分に対する欲がなく、

その代わりに誰かを助けたいという気持ちが

非常に強い人なんだということがわかったのでした。

 

恩返しをしたかった

 

幼少期の母の行動から

高校の時に聞いた母の価値観を思い出した自分は

こんな母親の元に生まれることができて

心底幸せだなと思ってました。

 

だからこそいつか恩返しをしたいと思っていたのですが、

一つ大きな問題がありました。

 

「欲のない人には何を贈ればいいんだろう?」

 

自分であれば、

流行りの服が欲しいとか

ブランド物の鞄が欲しいとか

旅行に行きたいとか

何がしか浮かびます。

 

しかし、母の場合、

自分で稼いだお金は子供たちや世界のために使ってしまうし、

実際服や鞄、アクセサリーなんて安物以外見たことがない。

 

旅行の話をしても

「近場ならいいけど遠いところは疲れる」

と言って首を縦に振らない。

 

何かあげたいのにあげられないことに

悔しさのようなものを感じていました。

 

しかし、おもちゃカフェ会に参加してくださったお母さんたちを通して

ふと思いついたことがありました。

 

「誰かのために貢献することを母は喜んでくれるのではないか?」

 

自分の活動と母親の価値観がつながったと感じた自分は

お母さんの悩みを聞けば聞くほど

「これが自分の母親への恩返しになるんだ」

と思えるようになっていったのです。

 

それが結果的に

例え一人になったとしても会社を存続させたい

という気持ちにつながることになったのでした。

 

それからというもの、

自分は人見知りなんて言ってられないと思い、

さらにお母さんに会う活動を加速させていきました。

 

何ができるかはわからない、

でも何かできることがあるかもしれない。

 

その何かができたとき

自分が受けてきた愛を

母に恩返しできるかもしれない。

 

そう思って走り続けたのでした。

 

会社を手放してから

 

走り続けてはいいものの、

結局利益を産まないどころか

維持費だけバカに高いシステムを作ってしまっていたので

そのシステムは泣く泣く止めることに。

 

ただ、サブで作った1000人のお母さんコミュニティでは

いろんな人たちに関わってもらえましたし、

さまざまなイベントも開催させていただくこともできました。

 

応援したかった人たちには

全体で100万円くらいのお金は回せましたし、

経営がわからない割には頑張った方だと思います。

 

しかし、年間で100万円のお金が回ったところで

会社として成り立つなんてことはなく

(収入として自分の元に入ってきたお金は0)

能力不足&勉強不足だった自分は

結局会社を手放すこととなりました。

 

そもそも社会の仕組みをわかっていない自分が

代表なんてやるべきではなかったわけですが、

母に対する感謝の気持ちが生まれたこと

母に対する恩返しの形が見え始めたこと

これを知るための経験だったんだなと思うと

とてもいい経験だったなと思います。

 

その1000人のお母さんコミュニティに関しては

存在はするものの以前のように活発には動いてません。

 

ただ、改めて自分が動き出す際に

もう一度、仲間を集めて運営したいなという気持ちになってきたので

徐々に形にしていこうと思います。

 

一旦休憩

 

と、いうわけで、

ここで一旦、『自己開示(幼少期〜会社を手放すまで編)』は

休憩しようと思います。

 

ここ最近過去を振り返りながら

「こんなことも書きたいなー」

って思うようになったり、

「こんな記事書いてー」

とリクエストいただいたり、

いろんな方とお会いしたことの気づきが多かったので

一旦それらを消化してから

改めて自己開示をしていこうと思います。

 

というわけで、次回は

【飛び込み営業型のネットワークビジネスの実態とは】

をお送りします。

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