どもども、
就活を盛大に失敗した結果
月8万円しかもらえなかったたっちゃんです。
さて、前回の記事で
一番最初に働いた職場を去ることを決意したわけですが、
その後、私は東京都の支援により
無事『会社員』として雇われることとなりました。
というわけで、今回のお話は
会社員として初めて勤めた会社の上司が
30分ごとに嘔吐しまくったことをきっかけに
自分の未来を考えるようになった話を
していこうと思います。
目次
ある男の会社員時代
毎月8万円から20万円になる
私が前職を辞めた時、
たまたま東京都の支援制度で
中小企業と第二新卒や内定取り消しにあった人たちを
マッチングさせるという取り組みがされていました。
概要でいうと
研修会社が一任して200〜300名程度の就職希望者対象に
マナー講座、パソコン講座、電話対応講座などを実施し、
中小企業で即働けるようにするというプログラムをこなし、
身につけた人から面接をし内定をもらう。
3.11による就職難の私たちの世代からしたら
ほんと神対応なプログラムでした。
早速参加し、研修を受けながら
同時進行で中小企業での面接を受けていたわけですが、
運良くプラント設計の会社に内定をいただくことができました。
社員20名弱の零細企業ではありましたが
それなりに歴史があるのか、
研修制度もちゃんとしているし
同期も何人か採用予定とのことで
孤独じゃない安心感もありました。
正直、応募した時は自分と全く接点のない業界だったので
受かると思っていませんでしたが、
「社会との接点を持つことで自分の存在意義を見出す」
みたいなのが目的の自分からしたら
どんな会社だろうが
受け入れてくれるだけで十分だと思っていました。
そして初めて『会社員』という立場で働かせていただいたわけですが、
入って早々に感動しました。
最初の3ヶ月間は研修で
ずっと設計図を書くための勉強をするだけでいい。
(パソコンに向き合ってればいいので人見知りの自分からしたら最高)
変な社訓とか異様なテンションでモチベーションを上げたり
無理に明るいキャラを演じなくていい。
(前職はそれが当たり前のように行われていた)
何より、
利益を一切生み出していないのに
ちゃんと月20万円というお金が入る事実。
(前職は利益出せなければ自分の収入も0)
それがもう嬉しすぎて
会社に行くことが幸せでした。
幸せすぎて研修期間に一番早く課題を終わらせたのが
たまたま社長に評価されて
一番最初に直属の上司をつけていただくことができました。
人が良く、なんでも許してくれる上司
自分についてくれた上司は
物静かではあるけどめちゃめちゃいい人で
「わからなかったらいつでも聞いてね」
といつも気にかけてくれていました。
また、会社の中で唯一『一級建築士』の資格を持っており、
その人の元で働けば将来は自分も
建築士になれるという道も用意できるよ、
と言ってくださったのです。
自分はその優しさに素直に甘えることにして
わからないことや
合ってるかどうかわからないことは
すぐに上司に確認し、
「それで大丈夫だよ」
と言われたものを社長に提出していました。
が、上司から教わった通りに描いた図面なのに
社長から
「お前さん、何描いてるんだ?」
と言われることが多いことに気がつきました。
最初は新人だからということで許されていたのですが、
それが1週間、1ヶ月と続くようになり、
最初は穏やかだった社長の口調も
日に日に荒々しくなり、
「ちゃんと教わってるのか!!」
と怒鳴り散らすようになりました。
自分は上司から教わった通りのことをしているので
どこがどう間違っているのかわからず
「どこが間違ってますかね?」
と上司に確認しても
「それで合ってるよ」
としか言ってもらえないので
また社長に怒られる…
そんな負のスパイラルに陥りました。
ただ、あまりにも自分の描いた図面が酷かったのか、
ある日上司が社長に呼び出されるようになりました。
社長「お前、ちゃんと教えてるのか?あいつ全然できるようになってないじゃないか」
上司「ちゃんと教えてます」
社「あいつに教えたように俺に教えてみ?」
上「これがこうでこうで、ここがこうで…」
社「はぁ?違うだろ?なんでそうなるんだ!!」
上「でも、ここがこうですよね?」
社「お前何年この仕事してるんだ!!」
上「…あ、はい…すみません…」
社「すみませんじゃねぇだろ!!」
そんな怒号が鳴り響く日が始まったのです。
実際、その上司からの指示は
たっちゃん「これでいいんですか?」
上司「あ〜大丈夫だよ」
という感じで、
チェックをしているようでしていないみたいな対応が多く、
自分が描いた図面のみならず、
上司が描いた図面自体が間違っているということがよくあったのです。
そうです、
私の直属の上司は
壊滅的に図面が描けない人だったんです。
でも理由はちゃんとあって、
そもそもその人は構造計算などの数字がめちゃめちゃ強い人で
本来設計図を描く人じゃないんですね。
今思い返すと社長の采配が悪いんですけど、
零細企業なので仕事を選んでいられなかったのでしょう。
計算の仕事よりも図面の仕事が多くなってしまった結果、
このような事態になってしまったのでした。
社内に嘔吐の音が響く日々
そんな怒号が鳴り響くようになってから
3ヶ月ほどの月日が経った時、
いつもの怒号が始まったわけですが、
社長がこんなことを口にしました。
社長「お前なんでこんなに毎日毎日でかい声で怒鳴られてるかわかってるか?」
上司「自分のミスで…すみません」
社「お前を通してみんなに見せしめてるんだよ!」
いやいやいや、
とんでもねぇこと言ってんな!?
と驚愕し、上司が席に戻ってからすぐに声をかけました。
たっちゃん「あの…大丈夫ですか?なんかすみません、自分のミスが発端でこんなことになって…」
上司「いや、いいんだよ。社長は昔からあんなだから」
た「え、そうなんですか?(昔からあんななの?)」
上「そうだよ、だから俺は慣れてるから気にしなくていいよ」
た「………(いやいやいや、気にするだろ)」
昔からそんな怒鳴られた経験あって今までよく耐えられたな…
と心の中で思っていましたが、
上司は上司でそうやって仕事をしてきたのだから
これも一つの処世術なのかな…と思うようにしました。
が、そんな会話をして数日のうちに、
上司の顔がだんだんと青ざめるようになり、
とうとう会社のトイレで嘔吐を繰り返すようになりました。
最初は単純に調子が悪いのかと思っていたのですが、
最終的には30分おきにトイレに行って嘔吐をするようになり
体型もふくよかだったのがだんだん不健康に痩せこけていき、
ついには会社を長期で休むようになったのでした。
この事件をきっかけに
「自分も近い将来、顔面蒼白になって嘔吐しまくるかもしれない…」
と思った私は
その未来にならないような選択肢を考えるようになっていきました。
出向先は超大手
直属の上司が休むようになってから、
社長から自分に出向命令が下されました。
出向と言っても隣の駅なので
大幅な変更はなかったんですが
直属の上司がいなくなってから
社長の矛先がいつ自分に向くかわからないという状況で
この話はとてもありがたいものでした。
自分はもちろん快く受け入れ、
自分の使っていた机をきれいに掃除し、
出向先へと向かうのでした。
出向先は約300名程度の会社で
業界で言えば中堅企業に当たるらしく、
オフィスも自分の会社の5倍くらいの広さがありました。
癖の強い方が多かったものの、
当たり障りのない会話をすることでやり過ごし
(人見知り超発揮してました)
約半年間の勤務を終えた頃。
その時にやっていた仕事の一番の大元の会社から
出向に来てほしいという流れになり、
この木なんの木気になる木〜♪
おなじみの誰もが知ってる超大手企業の中で働くことになりました。
そこでは1フロアに3,000名ほどの人がいて
さらに現場の人数を考えるとその倍の人が関わっている、
そんな環境でした。
自分は元の会社に戻りたくない一心で
できる限りの愛想を振り撒き、
関わる人たちに好かれるとは言わないまでも
嫌われないような立ち回りをすることで
「あの子真面目でいいよね」
と言われるようなっていきました。
その結果、
周りとはちょっと違う仕事を任せてもらえたり
元々の契約よりも長くその場で働かせていただけるようになるのでした。
会社員であること
最初に入った会社では
夢を持つ人たちが
それぞれ自分の目標に向かって頑張っていました。
成功するかどうかわからない未来に対して不安を抱きながらも
前に進むその姿は今でも素晴らしかったなと思います。
そして次に経験した会社員は
ちょっとした事件はありつつも
基本は収入が安定します。
が、どの規模の会社の飲み会でも
必ずと言っていいほど
上司の愚痴か現場の愚痴が飛び交っており、
常に不満が垂れ流されていました。
これに気づいた自分は
「世の中にこの不満と不安を両方とも感じないような人はいるのか?」
という疑問が浮かび、
その答えを得たいがために
社会人向けのセミナーや交流会に参加し始めるようになるのでした。
というわけで次回
【1000人の人に会うことで気づいた『大事にするべき人間関係』とは】
をお送りします。