どもども、たっちゃんです。
さてさて、大学時代に心理学を学んだことと
ボランティアを体験したことにより、
人の価値というのは
『客観性と主体性の二つの面に存在する』
ということがわかりました。
そんなことを学んだ大学生活は
とても有意義だったなと思えたのですが、
それが就職活動で活かせたかと言えば
言語化が下手くそだった&人前で話すのが緊張しすぎたせいで
全く活かせませんでした。
というわけで、
今回は
人見知りが就職活動を失敗した結果、月8万円しかもらえなかった話
を書いていこうと思います。
果たして人見知りのたっちゃんは
どんな感じで就活をし、
どうやって職に就き、
そこで何を感じたのか。
今回はそんな話。
目次
ある男の就職活動
就職活動に失敗
まず最初にお伝えしておきたいこと。
私は盛大に就職活動を失敗しました。
心理学を学ぶことで
自分の立ち位置を理解できたと思っていたし、
さらにはボランティアで総括(内部ではトップの立ち位置)
とかまでしていた自分は
多少なりとも自分に自信を持っていました。
が、それを言語化する力を持ち合わせておらず、
就職本通りに自分の体験を書き換えただけの履歴書と
就職本通りに面接の受け答えができるようになっただけで
人間味が一切出せていなかったんですね。
その結果相手に伝わるのは『マニュアル通りの人間』で
それ以上でも以下でもないつまらない人
と映ったんでしょう。
特に私の就職活動の時期というのは
超就職氷河期をさらに上回る氷河期だとか
3.11による内定取り消しだとかで
普通に自己表現のできている人ですら
職にありつけなかった時代。
そんな大変な中での就職活動で
自分みたいなのが就職できるわけがなかったんですね。
ニート生活
就職できなかった自分は
卒業までには就職してると踏んで
バイトも辞めてしまっていた結果、
ただのニートになったのでした。
学費を払ってもらった親への罪悪感や
社会に出られずこのままどうするんだ?
という未来への不安を抱えつつも
どこかで、
「時代が悪いよな」
「周りも就職できてない奴いるしな」
と就職できていない理由を見つけては
ただひたすらにダラダラ過ごす生活。
そんな毎日の繰り返しをおくること約半年…
突然、高校生の時に抱いた
「社会に出れないやつは価値がない」
という不安が復活してきたのです。
コミュ障を治して社会に出られるようになりたかったのに、
社会に出て自分の存在価値を示したかったのに、
それができていない現状というのは
自分にとってとてつもない苦痛だということがわかったのです。
それに気づいてから、
とにかく自分でも入れる会社を!!
と思い、
片っ端から会社を探してピックアップし、
50社の名簿を作っては全ての会社に電話をしまくり、
結果1社だけではあったものの、
自分を受け入れてくれる会社を見つけることができたのでした。
社会と関係性を結んだ瞬間
50社に電話してなんとか1社だけ合格を言い渡された私は
何がなんでもしがみついてやる!という気概のもと、
社長に仕事内容を聞くこととなりました。
社長「この度は私の運営する会社に関わることを決めてくれてありがとう」
たっちゃん「いえ、むしろ自分みたいなのに合格をくださってありがとうございます」
社「我が社はちょっと変わっていて、社員という形ではないですが、とても可能性がある会社になってます」
た「そうなんですか?(社員じゃないってどういうこと?)」
社「今いるメンバーは事務員の一人を除いて、全員個人事業主というかなり変わった会社になっています」
た「はい(こじんじぎょうぬしってなんだ?)」
社「ここにいるメンバーは全員経営者を目指しているので、この会社の仕組みを使って自分のビジネスをしている感覚で動いているんです」
た「はい(意識高っ!!)」
社「なので、あなたにもこの会社の仕組みを使って経営者になるべく動いてほしいのです」
た「はい(そうなの?)」
社「当社で働くと、だいたい1日の契約数は○件くらいになります。1件あたりの報酬は8,000円〜12,000円で、それを25日やるとだいたい新卒の初任給より高くなります」
た「はい(普通の会社よりも高い!!)」
社「なので、そのやり方は他の先輩に教わってもらえればいいと思います」
た「はい(苦労報われた!!いい会社だ!!)」
そういう感じで、
個人事業主とは一体はなんなのか
経営者を目指すとはどういうことなのか
なんてことは一切わからず(なんなら気にせず)、
ただただ、社会とのつながりを持てる!というだけで
自分の働く先を決めることになったのでした。
営業成績No.1 に輝く
自分の雇用形態もよくわからないまま、
合格をもらった次の週から働き始めることに。
1日目は人当たりの良さそうな先輩についていくだけだったのですが、
その先輩に話を聞くと
「別にやることは簡単だよ。
インターフォン押して、出た人にサンプル配って、
1週間後に契約するかどうか聞くだけ」
と教えてくれました。
確かに、それなら自分でもできるのでは?
と思いついて行ったのですが、
結果、ただただ飛び込み営業をしていくだけでした。
インターフォン押して人がいなければまた夕方回る、
人がいればインターフォン越しにサンプル提供の話をする、
出てきてくれたら一通り流れを説明する、
興味持ってくれたらお試し品を渡す。
その流れを朝の9時から夕方6時まで、
1日に300件以上回り、
サンプルを配れるのは10〜20件程度、
商品は知名度もあったので契約率は30%くらい。
人見知りの自分からしたら
マジで地獄のような流れをしなければならないわけですが、
それでも職があるだけマシ!!
と自己暗示をかけ、
ただひたすらにサンプルを配る日を過ごしました。
その結果、入って3週間がした頃…
いつの間にか自分はその日の営業売上がトップになっていました。
別に実力じゃありません、
たまたま回っていた担当のエリアに住んでる方達が
連続して契約してくれただけのこと。
それでもその日の自分に対して先輩方は
「入って3週間でこの実績はすごいね!」
「あの数字、この会社ができて歴代トップだよ」
「ちょっと悔しいわ、俺も頑張ろ笑っ」
という感じでお祝いをしてくれたのです。
自分は教えられたことをそのままやっただけ、
それでも、続ければ成果は出る。
その事実が嬉しくて
自分はさらに仕事に力を入れていくようになるのでした。
月8万円の生活
運とはいえ、
営業でもトップの成績になったことで
「もしかしたら社長が言ってた額よりも多めに入るかもな…」
とウキウキワクワクしてたわけですが、
その時に振り込まれた給料は
約10万円でした。
そしてその次の月は
約7万円。
成績が悪い月は
6万円を切る
なんて日もありました。
実家住まいだった私は
その給料でも生きていくことはできたわけですが、
業務に使う交通費や食費、
その他備品の購入なども全て自己負担のため、
手元に残るのはせいぜい3〜4万円でした。
流石にこれじゃ生活できないと思った自分は
周りの先輩に聞いてみました。
たっちゃん「あの、自分給料10万円いかない日の方が多いんですけど、これって普通ですか?」
先輩「そんなもんだよ〜おれも悪くなければ13万円くらいいくけど。他の人はもっと低い人もいるんじゃないかな?」
た「え…その人たちどうやって生活してるんですか?」
先「小さいアパートにルームシェアしてなんとかやってるらしいよ」
た「…あの、ここに入る時、社長から普通にやってれば大卒の初任給は全然超えるって聞いてたんですけど…」
先「あーむりむりむり。たしかに計算すればそうなるけど、実際超えてる人いないんじゃない?」
もうね、ただひたすらに驚愕でした。
自分が話した先輩はその会社の中ではトップランカー、
常にベスト3位には入ってる超優秀な人だったにも関わらず
それで生活できるの?って程度の給料で働いてました。
さらに、自分は直属の上司に話を聞きました。
たっちゃん「あの…結構頑張った月とかでも給料が10万円程度なんですが…これってあってますか?」
上司「計算してみた?経営者目指すなら自分でちゃんとチェックした方がいいよ」
た「何度か確認はしたんですけど、流石に金額的に不安になって…」
上「あーまぁそんなもんじゃない?経営者になれば一気に跳ね上がるよ」
た「はぁ…」
どこか納得のいっていない空気を感じたのか、
上司はこう続けました。
上「君は今の給料の心配をしているみたいだけど、
もっと先を見たほうがいいよ。
目指しているのは経営者であって、
経営者ってのは売り上げが高い日も低い日も
受け入れて進んでいかなければならない。
今の給料が低いのであれば、
それを上げるにはどうすればいいかを考えないと未来はないよ」
それは先輩がいつも口にしている言葉でしたが、
その時はいつもよりも強く、
普段とは違う鋭い目で私を見てきたように感じました。
そして、
その目を見た私はある決意をするのでした。
逃げ出す勇気を賞賛したい
「先輩、自分ここの会社辞めます」
「え?辞めるの?」
さっきまで経営者を目指すつもりで頑張ろうって話してたはずなのに
まさかの辞めます宣言を聞いた先輩は目を点にしました。
さんざん経営者の素晴らしさや将来の可能性を話した先輩からしたら
まさかの言葉だったのでしょう。
しかし、自分からしたら
そもそも経営者を目指そうと思ってこの会社に入ったわけではなく、
「世の中との繋がりを作らないと生きていけないのでは?」
と思っていた時に出会ったのがこの会社だっただけで
平均して月3〜4万円しか使えない状況では
世の中との繋がりを作ったからといって
生きていけないことに変わりがなかったのです。
そこから多少引き止められつつも
「本人の意思が固いならこれ以上引き止めない」
と言っていただけたので
自分はそのまま会社を去ることにしたのでした。
なぜ半年間続いたのか
こうして私の月平均8万円時代は幕を閉じたわけですが、
少なくても半年間は何の疑問も持たず
その会社で働き続けてました。
ではなぜ、月の給料が8万円でも続けることができたのか。
実は勤めている時の自分は
その会社のことをブラックだとは全く思っていなかったんですね。
初めての社会人で世の中を知らなかったというのもあるかもしれませんが、
その社長は大前提で「普通の会社とは違う」と話していましたし、
この会社で働くことで
経営者として身につけるべき技術を
その会社の仕組みを使って稼ぎながら学べる。
そして、そこに集まる仲間たちは
それぞれ大きな夢を抱きつつ
大変な思いをしながらも目標に向かって行動し、
結果を出せたスタッフをこれでもかというくらいに賞賛する。
そんな環境がブラックなわけがないと思っていたのです。
実際学ぶことも多かったですし、
そこで学んだことは今でも通用する考えだなというのもあります。
ただ、一つだけ。
生活のできない給料では
人は生きていけないのです!!
(超当たり前の事実)
夢を追うのも大事ではあるけど、
現実を見るのも大事ってことに気づいたたっちゃん。
今度はちゃんとした会社に『入社』をするために
いろいろと頑張るのでした。
と、いうわけで次回は
【上司が30分おきに嘔吐しはじめた時、私は会社を辞めることを決意した】
をお送りしようと思います。